Twitterで書くまでもないことを書くところ(仮)

タイトルの通り、Twitterに書くまでもない雑感を整理するためのブログです。

「誤解を与えた」謝罪は自己保身、責任転嫁でしかない

「させていただく」という日本語をこの世から滅ぼしたいので初投稿です。

 

気付けばシンデレラガールズのライブが今週末に迫っていたり、三嶋が大隣や越智と同じ難病を患ったと聞いてショックを受けたりとホットな話題がいろいろありますが、今日はにわかに降って湧いた謝罪のニュースがらみで書きたいことがあったので久々に筆を執っています。

www.oricon.co.jp

oniji.hatenablog.com

 

詳しい経緯については上記ニュースサイト・ブログにまとめられていますが、簡単に書くと「とある声優のTwitter裏垢がバれて、投稿内容に色々問題があったので謝罪に追い込まれた」という感じです。

このニュースの所感については、上記ブログのおにじさんがだいたいの人が感じたであろうことをしたためてくれています。今回私は、八巻さんが直筆された謝罪文の中にも含まれている「誤解を招く」という一文にフォーカスをあててみたいと思います。

 

世の中では毎日のように誰かしら、何かしらがなんらかの理由をもって謝罪文をしたためる憂き目を見ているわけですが、その謝罪文において「誤解を招いた」という表現が用いられることがよくあります。

www.sponichi.co.jp

www.asahi.com

上記ニュースは「誤解を招く 謝罪」でググって出てきたものを適当に引っ張ってきたものですが、検索結果をみると業界や人を選ばず「誤解を招く」という謝罪は常套句として用いられている、ということがわかります。

 

で、ここが今日書きたかった本題になるんですが、私は「誤解を招く」という謝罪はそもそも謝罪になっていない表現で、もっといえば「させていただく」に並んで滅ぶべきゴミ以下の代物だなあ、と今回改めて思うのです。

謝罪には「過ちを犯したことを認識している」「過ちによって迷惑をかけた相手に詫びる」「今後は同じ過ちを犯さないと約束する」といった含蓄があると思います。そこに「誤解を招く」という表現を照らし合わせてみると、誤解を招くという表現には自己反省や相手への謝意といった、本来謝罪の際にあるべき内省が決定的に欠けています。

www.newsweekjapan.jp

上記リンクの著者も述べている「誤解は理解の失敗であるわけだから、傷つけられた側、差別をされた側へと問題を転嫁し、「謝罪」風の言葉の中で、形を変えて加害を繰り返している」という意見は、まったくもってその通りだと思います。

つまり今回の件の八巻さんを含めた「誤解を招いたことを詫びた人たち」は、自らの過ちの責任を自ら以外のなにものかに押し付け、それらしき体裁と外面を整えることによって過ちを水に流してもらおうとしているにすぎないわけなんですよね。

 

で、今回の八巻さんの件についてなんですが、「SNSの裏垢をつくってそこに愚痴や悪口をこぼす」なんてことは、現代では当たり前にあることだと思うんですよね(自分には理解しかねますが)。

当人にさえ届かなければ、人の悪口は雑談のネタであったり、些細なストレスを消化するための材料として消化されて忘れられていくわけです。その辺のデリカシーをわきまえて振る舞えるのであれば、問題はないとは言えませんが社会的に許容される行為といえるでしょう。

それだけに今回八巻さんがやらかした「悪口を全世界に向けて発信してしまった」行為は最低のやらかしで、その後の謝罪文で用いた「誤解を招いた」という表現は、やらかしの火に油を注ぐような失敗・しくじりだと思います。今回の一件についてはもちろん八巻さんは心から反省しないといけないと思いますし、それと併せて八巻さんを含む「誤解を招いた」人たちには、そういった考え方を改めない限りあなた方のしでかしている「しくじり」は現在進行形のもので、今後の人生に影を落とす要素になりますよ…という警告を最後にしたためて、今回のブログを終わりたいと思います。

 

ちなみに今週末の推しメンは鈴木絵理さん&鈴木みのりさんのダブル鈴木です。ひとつよしなに。