Twitterで書くまでもないことを書くところ(仮)

タイトルの通り、Twitterに書くまでもない雑感を整理するためのブログです。

家虎問題への個人的な所感をまとまらないけどまとめてみた

hochi.news

こんばんは、モズアスコットの鮮やかな変わり身にビビり散らかした男性です。

最近の芝G1馬の初ダート挑戦は芳しくない結果に終わるケースが多かっただけに、今日の勝利はモズアスコット陣営にとっても他のダート戦をにらむ陣営にとっても大きな意味を持ちそうですね。次走にG1レースを選ぶのかも含めて注目していきたいです。

 

という競馬のお話しはさておき、今日のTLでいちばん話題に上ったのはこの事でした。

 ブシロード(が権利を持ってるバンドリ)の偉い人が「ライブ中に家虎すんな」と明言・警告したという話題。そもそも家虎ってなんだよって話はここでは省いちゃいますが、家虎を巡っては今までもちょくちょくアニソン現場の各現場で是非をめぐる論争が起きてきました。そして今回バンドリという大きなコンテンツの代表者の一人である木谷氏が家虎の根絶を目指すと表明したことは、今後のアニソン現場全体に大きな影響を与えると思われます。

ちなみに自分は家虎やMIX等については「好きではないけど仕方ないかな」って認識でいます。最初にこれらを聞いたときは「なんだこれ、五月蝿いな」というのが正直な気持ちでしたし、今でも許容しているのではなく黙認するという「消極的な容認」をすることで自身の気持ちに折り合いをつけているといったところでしょうか。

そんな中で今回バンドリが「家虎No」というメッセージを発しました。どのような形で、どういった段階を踏んで家虎を根絶していくのかは明らかではありませんが、今後バンドリの現場では家虎を聞くことはなくなっていくのでしょう。そして自分は、こうしたバンドリ運営サイドの意思表明は尊重されるべきだと思うし、さらに踏み込むならば他コンテンツもこのような形で明確なライン引きを行うべきだと考えています。

 

昼間にTwitterの方にも書いたのですが、自分は家虎やMIXといった現場発のモノ自体を否定するつもりはありません。運営側が許容している、歌詞に含まれている、コンテンツの歴史と紐づいてきている。そんなケースはいくらでもあるでしょうし、その文化はこれからも続いていくのだろうと思います。

しかしこれはあくまで自分の一意見でしかありません。中には家虎そのものが無くなってしまえばいいと思っている人もいるでしょう。そして同時にここまで家虎が槍玉にあげられるのはおかしい、異常だと感じている人も当然いるはず。難しいですね。

ではどう考えるべきか。自分は「絶対的な正しさはないが、普遍的な間違いはある

と考えています。今回のケースに当てはめるならば「家虎自体がダメとは思わないが、家虎をやるべきではない場所はある」といったところでしょうか。

 

Twitter上で「迷惑の基準が人によるから揉めるんだし、何が楽しいかが衝突することもある」と書いている方がいました。それはある種真実で、しかしその認識はおそらく今後通用しなくなると自分は踏んでいます。その認識はこれまでの「皆までは言わんけど、揉めない程度にうまくやれよ」というルールブックのなかで培われてきたしきたりであり、そのルールブックではもはや現場を制御しきれないとイベントの運営サイドが気づいたからです。そして運営サイドのなかで一足早くカイゼンの手を打ったのがバンドリの運営である、という事なんだと思います。「自分たちのやっているコンテンツは、皆まで言って厳格なルールを運用しないと機能不全になってしまう」とバンドリの運営が認識したのが今回の出来事なんですね。

 

秩序と自由のバランスはとても難しいです。しかし人間社会のあらゆる文化は秩序のもとで享受されているのであり、そこで無法を自由と錯覚しない人たちがそれぞれの文化圏のなかで排されることなく生きていける、みたいな事なんでしょう。なんかだんだん何を書いているのかよくわからなくなってきたので、今回はこのへんで。